海外製品の発掘と製品化の思い出


 私の場合、国際活動は、35歳、1986年にAT&Tからデータ交換機とDoVモデムを購入して、企業通信市場にOEM販売するプロジェクトが始まりでした。そこで、この時代に焦点を当てて、何かのご参考に、又は、製品発掘の事例にと思い出を述べさせて頂きます。

  あまりにも長い時間の幅がありますので、どこに焦点を当てるかで悩みました。結局、AT&T関係で仕事をしたのが、国際に関わるきっかけでしたので、そこに焦点をあてたものにしました。 

  AT&T製データ交換機(DataKit)は、米国電話会社全体の日々のオペレーションをサポートしていた短パケット交換機で、これ無しでは、運用ができない程重要なものでした。丁度、現在のIPネットワークによるイントラネットです。85年時代に現在のIPネットと同じ機能で、使い買ってもすこぶるいいものが電話局すべてに行き渡っていたのですから大変な驚きでした。

 

 INS三鷹モデルで5年ほど音声データ統合ネットの実験をして東京総支社のシステム販売本部に戻った時は、未来型のモデルシステムと現実の企業ネットの大きな落差に直面し落胆しました。丁度、そんな折に、AT&Tから売り込みがあり、私は、すぐ、これだと確信できました。データ交換機とDoV(Data Over Voice)モデムを組み合わせた「データオーバーボイスLAN」の概念でOEM販売に取りかかりました。販売計画、購買契約、仕様書制定、本社での技術審議会、技術検証、端末認定、商品登録、技術研修、マーケティングと長い工程を半年かけて一気に走りました。当時、国際調達室長は加藤隆様で、ご担当に相談するとトラックIIAの手続きで速やかに調達して頂き、大変、お世話になったことを覚えております。

  ベル電話会社(NYNEX)を訪問してDataKit VCS(仮想回線交換機)によるオペレーションネットワークを見学したおりの写真です。

 左の写真の雑誌記事は、ユーテリティネットワークの概念が出始めた1989年の12月号に紹介した「変貌するデータ通信会に示すAT&T社の解決策」と題する、ベル研究所のシェルドン・ホーリング(Mr.Sheldon Horing)の講演を紹介したものです。ユーザは端末からメインフレームや小型コンピュータを業務毎にアドレスを切り替えて呼び出して使用しております。 

 驚くことに、27年後の今日に普及している「クラウド」の構想に似ており新鮮であり、ベル研の奥の深さを感じたものでした。

 米国ニュージャジー州へ、最大のお客様(NTTデータ)と共に、ベル研究所を訪問した夜のディナーで、昼間には聞けない裏話しや、開発の神髄を研究者に聞くことができました。ディナーは通常で3時間も続くので、お客様はお疲れで早くホテルに戻りたがるところでしたが、私は、お聞きしたいことが山ほどあって時間が足りなかったことを覚えております。

 

 写真の中央が、開発責任者のフレイザーさん。下段がVCS(仮想回線交換機)を発明したドクターホーンさんで、180bitの短いパケットだけを使うリアルタイム性の高いデータネットワークを生み出した方です。

 

 パケット交換のX.25プロトコルとの相違点やMAN(メトロポリタンエリアネットワーク)の構想をお聞きしました。後方の4人の方は、NTTデータのご担当でAT&Tジャパンの秋元さんを囲んで開発の目的や日本での導入予定を議論しているところです。

 

 OEM製品としてNTT製品名ではDokit(Data Open Kit)として販売を開始し、NTT品川TWINTsの地下1階の検証室で、3段キャビネットのDokitを設置して、日本のX.25ネットとの接続、DT1211手順、DT9651手順、NTT無手順、半二重通信でのデータ交換等を毎日検証しておりました。

 当時、若いスタッフは英語も得意ではなかったのに、英語マニュアルを捲りながら、概念を理解し、感と度胸(センス)でやり遂げてくれました。これも、INS三鷹経験者を集めることができたからと思いますが、それにして奇跡でした。お陰で、パンフレットも作成し、東京総合支社の製品として全国販売でき、NTTデータ(中野)、堤不動産(八王子)や九州の大分大学へ導入できました。

  

 第二段階では、プロトコル変換にDokit機能を使う案件ができ、DT1211手順、DT9651手順、NTT無手順、半二重通信をX.25プロトコルに変換するノードを開発することとなりました。当時にパソコンソフトを開発していた若い方々を集め、ベル研究所とのジョイントPJを立ち上げました。ダリヨシさん率いるベル研チームが、開発したソフトを日本のパケット網で検証するために品川Twinsに来ました。

 

 NTTの若い5名は、この前に、NJのベル研で1ヶ月半ほど日本のプロトコルを説明し、共に、ソフトを開発しておりました。90年頃で、英語も得意でなかった彼らが文句も言わずによくやってくれました。なによりも嬉しいのは、皆さんが明るく前向きなことでした。若い技術者が育つのを見ることはとても楽しいことでした。そんな日々の中で、ライフボートというソフトウェア販売会社を立ち上げたばかりの孫正義さんに私の友人の会社設立パーティで会い、談笑しました。話題は、NTTのソフト開発の話やDokitの話だったかと思います。あの孫さんが今ほどの大物になるとは夢にも思いませんでしたが、懐かしい出来事でした。

 

 東京支社でのDokitの仕事を後に、国際調達室で交換機の調達を担当し、ネットワーク総合技術センタで映像メディアを開発し、法人営業のメディア営業に来たころ、「パイオニア」という企業製品発掘の調査PJがあり、5年後に再度、ベル研究所を訪問して最新のデータネットワークをヒアリングしました。「パイオニア」活動で見いだした「ポリコム社のドキュメントShow Station」を霞ヶ関ビル30Fの展示場でプレゼンしました。1995年頃のポリコムが、ピクチャーテルを買収し、TV会議業界で大成長するとは夢にも思いませんでした。

 

 

 おわりに、「製品発掘」活動は、今日でも充分価値があるのでは、明日の、いや、3年、5年先にブレイクする製品やソフトを先に見いだしサポートしていく、「海外のよき製品を日本へ、日本のよき製品を海外へ」こんなインキュベータ的な運動をできれば幸いと思います。

 

 以上、よろしくお願い致します。 

 

 この文書は ICT海外ボランティア会 寄稿「海外製品発掘と製品化の思い出」安達信男 を再構成したものです。

 

 

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